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福岡地方裁判所 昭和50年(ワ)81号 判決 1985年3月27日

原告

岸川淳

原告

永松寅男

右訴訟代理人

本多俊之

被告

右代表者法務大臣

島崎均

右指定代理人

堀江憲二

外二名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らそれぞれに対し、金三五〇万円及びこれに対する昭和五〇年二月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  福岡法務局所属公証人香山静郎(以下「香山公証人」という。)は、いずれも原告岸川を債務者とし、執行受諾文書のある次の公正証書を作成した。

(1) 昭和四二年五月二六日、訴外鶴幸代(以下単に「鶴」という。)を債権者とする第五四〇一号金銭消費貸借公正証書(以下「ア公正証書」という。)

(2) 昭和四二年一二月二〇日、鶴を債権者とする第七三四九号金銭消費貸借公正証書(以下「イ公正証書」という。)

(3) 昭和四三年一一月一六日、訴外中島実を債権者とする第三四六八号債務承認並に弁済に関する公正証書(以下「ウ公正証書」という。)

(二)  福岡法務局所属公証人西向井忠実(以下「西向井公証人」という。)は、いずれも原告永松を債務者とし、執行受諾文言のある次の公正証書を作成した。

(1) 昭和四二年五月九日、鶴を債権者とする第三五三九号金銭消費貸借公正証書(以下「エ公正証書」という。)

(2) 前同日、訴外有限会社上妻孵化場を債権者とする第三五三七号金銭消費貸借公正証書(以下「オ公正証書」という。)

(三)  香山公証人は、昭和四二年五月二六日、鶴を債権者とし、原告永松を債務者とし、執行受諾文言のある第五四〇〇号金銭消費貸借公正証書(以下「カ公正証書」という。)を作成した。

2  右各公正証書の作成は、いずれも伊藤義生(ア、カ公正証書)、井上益實(イ公正証書)、鎌田マサヲ(ウ公正証書)又は元村幸子(エ、オ公正証書)が債務者の代理人として公正証書の作成を嘱託し、執行受諾の意思表示を行つている。

3  公証人は、代理人の嘱託により証書を作成した場合には、作成の日から三日以内に、(1)証書の件名、番号及び証書作成の年月日(2)公証人の氏名及び役場(3)代理人及び相手方の住所及び氏名(4)執行受諾文書の記載の有無を本人に通知すべきものとされている(公証人法施行規則(以下単に「規則」という。)一三条の二)が、香山公証人はア公正証書につき、西向井公証人はイ、ウ公正証書につき、いずれも原告岸川又は原告永松に対し右通知をなさなかつた。

4  原告岸川及び原告永松は、いずれも右1の各公正証書の作成を嘱託する代理権を右2記載の代理人に与えたことはなく、右1の各公正証書は、鶴が他の目的のために使用すると称して原告らから交付を受けていた印鑑及び印鑑証明書を冒用して代理人を選任し、当該代理人をして公証人に作成を嘱託せしめた結果作成されたものである。

5  原告岸川が香山公証人からア公正証書につき、原告永松が西向井公証人からエ又はオの公正証書につき規則一三条の二第一項の通知を受けておれば、原告らはその時点で鶴が原告らの印鑑等を冒用したことを知り、以後鶴に印鑑、印鑑証明書、委任状などを交付することはなく、従つて、イ、ウ及びカの各公正証書が作成されることはなかつた。しかるに、香山公証人及び西向井公証人が右の通知をなすことを怠つたため、原告らはその後も鶴を信用し、同人に印鑑、印鑑証明書等を交付したため、同人はこれを冒用して、イ、ウ及びカの公正証書の作成を嘱託せしめることができた。

6  原告らは、イ、ウ及びカの各公正証書が作成されたため、次のような損害を被つた。

(一) 原告岸川

原告岸川は、昭和四四年当時、八女ふ卵場という商号で約四〇〇〇羽の種鶏を飼育してふ化業を営んでいたが、同年五月三〇日、イ及びウ公正証書に基づく強制執行により二四〇〇羽の白色レグフォンの種鶏の差押えを受けた(これら種鶏は同年七月一七日換価競売に付された。)。そこで、原告は右各公正証書の執行力を排除するため請求異議などの訴の提起を余儀なくされ(福岡地方裁判所八女支部昭和四四年(ワ)第三二号請求異議等請求事件、同裁判所同支部同年(ワ)第三三号債務不存在確認請求事件)、また、同年六月九日に二五万円、同年六月二三日に二〇万円の各保証金を供託して、右各強制執行の停止決定を得た。

以上により、次の損害を被つた。

(1) 右保証金に対する供託規則(昭和五三年法務省令第四号による改正前のもの、以下同じ)第三三条一項所定の年二分四厘の割合による利息と民事法定利率年五分の割合による利息の差額(二五万円の保証金について昭和五〇年六月九日現在、二〇万円の保証金について昭和四九年六月二三日分まで。次の計算式のとおり。)合計六万五〇〇〇円

(2) 右各訴訟の貼用印紙額の合計四万六四〇〇円(第三二号事件につき二万一三〇〇円、第三三号事件につき二万五一〇〇円)

(3) 右両事件の提起・追行、右強制執行停止申立をなすことを弁護士井上茂及び同本多俊之に委任した。その弁護士費用一〇〇万円

(4) 原告岸川は、右強制執行を受けたことにより、営業上の信用を失い、前記ふ化事業は廃業のやむなきに至つた。そのために、少なくとも一〇〇〇万円の営業上の損害を被つた。

(5) 慰藉料 二五〇万円を下ることはない。

(二) 原告永松

原告永松は、カ公正証書に表示された債権を譲り受けたという訴外吉開米吉から右公正証書に基づき自己所有の白色レグフォン成鶏等を差し押えられたため、カ公正証書の執行力を排除し、その間右強制執行を停止させるため福岡地方裁判所八女支部に債務不存在確認等請求事件を提起(昭和四二年(ワ)第三七号事件)するとともに、右強制執行の停止を求める申立をなし、昭和四二年一二月二五目に五〇万円の保証金を供託して、同裁判所同支部の強制執行停止決定を得た。

以上により、次の損害を被つた。

(1) 右保証金の供託規則所定の利率による利息と民事法定利率による利息との差額(昭和四九年一二月二五日分まで。次の計算式のとおり)九万一〇〇〇円

(2) 右訴訟の貼用印紙額 二万一〇五〇円

(3) 右訴訟の提起・追行、右強制執行停止申立をなすことを弁護士木下秀雄及び同本多俊之に委任した。その弁護士費用一〇〇万円

(4) 慰藉料 二五〇万円

7  よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条に基づく損害賠償として、右6の損害合計中、それぞれ三五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五〇年二月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4ないし6の事実は否認ないしは争う。

3  仮に、請求原因1記載の公正証書が鶴が原告らの印鑑等を冒用して嘱託した無効のものであつたとしても、

(一) 規則一三条の二第一項の通知は、代理人の嘱託により作成された公正証書の本人に対し、その公正証書の効力を争う機会を与えるための規定であつて、後続の公正証書作成のことは予想すらしていない上、本件の各公正証書は鶴の巧みな犯罪行為に基づいて作成されたものであり、通常人では考えられない稀有の事態である上、原告らにおいても鶴との交際があつたのであるからその狡智さを知り得べきであつたのに、不用意に実印や印鑑証明書を交付するという不注意もあり、これらの異常な事態が積み重なつてはじめて、イ、ウ又はカの公正証書は作成されたものであるところ、香山公証人及び西向井公証人はこのような異常な事態が生じることを予見し得る可能性はなかつた。したがつて、同公証人らには故意又は過失もない。

(二) 右(一)の各事情、公正証書が作成されていても事前の請求等もなく強制執行に及ぶということは通常ないこと、イ、ウ及びカの公正証書の作成嘱託に際し、鶴らが香山公証人及び西向井公証人が、ア、エ及びオの各公正証書作成後規則一三条の二第一項の通知をなさなかつたことを悪用し又はこれを奇貨として右嘱託に及んだという事情がないことに照らすと、イ、ウ及びカの公正証書が作成されひいてはこれに基づく強制執行がなされたことと右通知をなさなかつたこととの間には相当因果関係はない。

(三) 仮に、以上の主張が認められないとしても、右通知がなされなかつたことによる損害は、イ、ウ及びカの公正証書のみによつて生じたものに限定されるべきところ、公正証書に表示された債権はウ公正証書に表示された債権に含まれ、またエ及びオ公正証書に表示された債権はカ公正証書に表示された債権と同一であるから、ウ、カ公正証書がなくとも、原告らはア又はエ、オ公正証書に基づいて強制執行をなされたのであるから、原告ら主張の損害はいずれも公証人らが右通知をなさなかつたことと相当因果関係のある損害ではない。

三  抗弁(過失相殺)

原告らにも右二3(一)に記載したような不注意があり、更に、原告永松は、昭和四二年六月ころカ公正証書が作成されていることを知り、鶴を告訴したにもかかわらず、強制執行を免れるための措置を何ら講じなかつたなどの過失があり、これらは損害額の算定に当たり斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二規則一三条の二第一項は、公証人に代理人の嘱託により公正証書を作成した場合における公証人の職務上の義務を定めた規定であるから、香山公証人がア公正証書を作成した後、西向井公証人がエ及びオ公正証書を作成した後、いずれも右通知をなさなかつたことは、規則一三条の二第一項ただし書所定の事由の存在につき主張・立証のない本件においては、右公証人らはその職務を怠つたものというべきであり、通知をなさなかつたことがやむを得ざる事情に基づくものであることをうかがわしめる何らの証拠もないから、右公証人らが職務を怠つたのは同公証人らの少なくとも過失によるものであることが推認できる。従つて、被告は、被告の権力の行使に当る公務員たる右公証人ら右の違法行為と相当因果関係のある原告らの損害を賠償する責を負うといわなければならない。

三そこで、原告ら主張の損害の有無及びそれと右通知をなさなかつたこととの相当因果関係の有無について判断する。

1  <証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すると、

(一)  原告岸川は、かねてから福岡県八女市においてふ卵業を営んでいたものであり、鶴は同市においてふ化業を営む有限会社上妻孵化場の代表取締役であつたが、原告岸川及び鶴は、他のふ化業者とともに昭和四一年二月ころから、共同してふ化業を営むため昭和産業株式会社の設立を企画し、その設立とともに鶴はその代表取締役、原告岸川がその取締役に就任したが、その業務はもつぱら鶴が担当していた。昭和四二年ころ、原告岸川は、鶴から右昭和産業株式会社の取締会の議事録その他の書類に用いるため必要であるといわれて、その実印を交付したことがあり、ア公正証書は鶴が右のようにして交付された原告岸川の実印を冒用して伊藤義生に原告岸川の代理人として香山公証人にその作成を嘱託させた結果作成されたものと思われること

(二)  イ公正証書は、原告岸川が昭和四二年一一月ころ鶴の友人である鎌田マサヲから金を借りるのに必要であると鶴から求められて同人に交付していた委任状と、これも他の目的のために原告岸川が、そのころ鶴に交付していた印鑑証明書を冒用して鶴が井上益實に原告岸川の代理人として香山公証人にその作成を嘱託させた結果作成されたものであること

(三)  ウ公正証書は、原告岸川から昭和四三年一〇月ころ抵当権設定登記手続を(ママ)委任を受け、そのために実印の交付を受けていた司法書士が、その実印を鶴に交付したことがあるが、鶴が右実印を冒用したか、あるいは、そのころ鶴が原告岸川から何らかの他の目的のた交付されていた委任状を冒用するなどして、鎌田マサヲに原告岸川の代理人として香山公証人にその作成を嘱託させた結果作成されたものであること

が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

2  <証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すると、

(一)  原告永松は、農業を営むかたわら、昭和三六年ころより養鶏業を営んでおり、昭和三八年ころから鶴ないし前記有限会社上妻孵化場からひな鳥を継続して購入するようになり、鶴との交際がはじまり、取引終了後の昭和四二年ころも訴外有限会社横尾商店が提起した飼料の売掛代金請求事件の共同被告をして交際があつたこと

(二)  エ及びオ公正証書は、原告永松又はその妻である永松マキノが、昭和四二年三月ころ、鶴から、前記訴訟の和解のためなどの他の用のために必要であると言われ、これを信じて鶴に交付した原告永松の実印及び印鑑証明書を鶴が冒用して元村幸子に原告永松の代理人として西向井公証人にその作成を嘱託させた結果作成されたものであり、カ公正証書も、原告永松又は永松マキノが同年五月ころ他の目的のため必要であるといわれて鶴に交付した印鑑及び印鑑証明書を鶴が冒用し、あるいは他の公正証書作成のために原告永松が作成し、鶴に交付した金額、債権者欄等が空白の委任状及び印鑑証明書を鶴が冒用し、伊藤義生に原告永松の代理人としてその作成を嘱託せしめた結果作成されたものであること

が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

3  右各認定事実及び原告ら各本人尋問の結果によると、原告らが、イ及びウ公正証書又はカ公正証書作成に冒用された原告らの実印、印鑑証明書又は委任状を鶴に交付したのは、その当時原告らが鶴をある程度信用していたからであることが認められ、このことからすると香山公証人及び西向井公証人がア又はエ及びオ公正証書作成の際規則一三条の二第一項所定の通知をなしておれば、原告らはいずれも鶴が原告らの実印等を冒用したことを知り得え、その結果鶴に対する信頼を失い、以後鶴に実印等を交付するのに慎重となり、その結果、鶴においてイ及びウ又はカ公正証書の作成を嘱託せしめることが困難となつたであろうことが推測できる。

しかしながら、右1及び2認定のとおり、イ及びウ又はカ公正証書が作成された直接の原因は鶴による原告らの実印等の冒用行為であるところ、鶴は右冒用行為をなすについて、カ又はエ及びオ公正証書について規則一三条の二第一項の通知がなされていないことを利用したということは本件全証拠によるも認められず、弁論の全趣旨によると、むしろ、鶴は、右通知がなされていなかつたことを知らなかつたのではないかと考えられること、右通知がなされていたとしても、なお、鶴において何らかの手段を用いて原告らからその実印等の交付を受けること、ひいては、イ及びウ又はカ公正証書の作成を嘱託せしめることが全く不可能ではないこと、規則一三条の二第一項の通知は、代理人の嘱託により作成された公正証書については、当該「代理人」に真実は公正証書作成を嘱託する権限を有していないことが時としてあるため、本人に同項各号所定の事項を通知することにより当該公正証書の存在を知らしめ、早期に当該公正証書の執行力の排除を求めうる機会を与えることを目的とするものと解され、公正証書の相手方その他当該公正証書の作成嘱託にかかわつた者による本人の実印、印鑑証明書等の今後の冒用を予防するところまでその保護の範囲として予定されていると解されないこと、を総合して考えると、香山公証人がア公正証書につき規則一三条の二第一項の通知をなさなかつたこととイ及びウ公正証書が作成され、ひいては、原告岸川がこれらを債務名義とする強制執行を受けたこととの内に、また、西向井公証人がエ及びオ公正証書につき、右の通知をなさなかつたこととカ公正証書が作成され、ひいては原告永松がこれを債務名義とする強制執行を受けたこととの間に、相当因果関係があるとまでは認めることができない。

四従つて、原告らの本訴請求は、その余の請求原因事実について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(水上 敏)

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